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ブラアカ引退記事① ぼくが悔いている2つの演奏

いよいよブラアカ引退が現実のものとなりました。当団では、引退にあたって3年生一人一人が想い出などを書き綴り、卒業文集のような冊子を作る慣わしがあるのですが、どうせぼくのこと、好き勝手に書かせれば載せるに堪えない長さになるに決まっているので、少しずつここに書き表していくことにします。

 

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ブラアカにおいて、ぼくが「悔いている」過去の演奏について。

 

思うに、自分のパフォーマンスに対して後悔や満足が生じるメカニズムは、予想と結果における「できる」「できない」の組み合わせ、2×2の4通りにまとめられるのではないでしょうか。

 

5年間の演奏ブランク明けであるブラアカ1年生当時のぼくは、「自分がパート内で一番下手な奏者である」という事実に直面しており(合奏でも“今以上に”落ちるし、音外すし)、難しい楽器を担当しようとする気力がほとんど残っていませんでした(いくつかは諭されるように任されたものもありますが)。

 

打楽器の譜面は、選ぶ楽器ごとに難易度が大きく異なります(たとえばポップス曲において、ドラムの難易度をタンバリンが超越することは稀でしょう)し、もちろん奏者ごとに得手不得手があります。

そんな中で当時のぼくは、積極的に楽な譜面を選んでいたような気がします。大勢に影響がないあの楽器とか(それが好きな人に怒られそうだから伏せておくけど)、中高時代の地力がそこそこ残っていたティンパニとか。

 

その結果としてぼくの演奏は、

①「できて当たり前だし、できた」

②「できなさそうだったし、順当にできなかった」

という2つのパターンに収まり、どちらにしても深い感慨は残らないものとなりました。あくまでバンドの下手側、すみっこに身をおくことができたという喜びくらいのもので、それ以上でも以下でもない感じ。

 

しかし、そんな風にのらりくらりと第21回定演(『楓葉の舞』とか)を終えた2年前の春から、ぼくには何かしらの心境の変化があり、かなり冒険的な楽器を選び、たくさん個人練をするようになりました。

デモバン(本公演前座の小さな演奏会)ですら一度もやっていないドラムを突然「五月祭でやるぞ😆」と宣言したり、アンサンブルを期にビブラフォンに目覚めたり、ティンパニについては今まで取り入れていなかったフォームや奏法を切り替えてみたり。 

 

演奏にのめり込むとともに、②のパターンはほぼ消滅し、代わりに新たな2パターン、

③「できないと思ってたけどできた」

④「できるはずなのにできなかった」

が現れはじめました。

 

そして、④のパターン、すなわち、当初の楽観的な予想が裏切られた場合こそが、最も強い後悔をもたらすのだと思います。

 

前段が長くなりましたが、ぼくには④のパターンに該当する演奏が2つ存在するという話です。本編はもっと長いです。

 

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♪ディスコ・キッド(第22回定期演奏会/2017年2月5日)

アンコールのドラム担当は責任重大です。表向きは演奏会が終わったということになっていても、バンドを背負う一仕事がまだ残っている…という感覚は、かなり独特のプレッシャーを与えるものです。

 

そのプレッシャーがかえって良い結果を生んだのが、第23回駒場祭演奏会(2016年11月26日)アンコールの♪Mission:Impossible。その時点での自分の力量を上回る(115点くらいの)パフォーマンスにより、麻薬にも近い快感と充実感を得たぼくは、定演のアンコールでも十分過ぎるほどの準備をしてきたつもりでした。練習番号ごとにやることを変えてみたり、ブラアカ先代の演奏や諸所の演奏をリサーチして、ソロのアレンジを練りまくったり。数日前にも譜面いじったりしたっけ…

 

でも、本番になって頭が真っ白になった。ソロを失敗するならばまだしも、なんでもないところで手が思うように動かなくなり、むやみにシンバルをひっぱたき鳴らしてしまった。

 

長い間「あの演奏はバンドをぶち壊したなあ」とずっと思っていました。DVDも観られなかった。 最近になってようやく気持ちが落ち着いたので観てみたら、思ったよりはマシな仕上がりでした。ソロもしっかりできていたし、意欲を持って練習した成果は自分を裏切らないのだと実感しましたが、それでもあの瞬間の恐怖は、決して味わいたくない経験として未だに色濃く残っています。

 

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♪マーチ・シャイニング・ロード/時に道は美し(第57回東京都職場・一般吹奏楽コンクール/2017年8月5日)

 

中学1年からティンパニに触れてきたぼくにとって、プレイヤーとしての集大成となる最後のコンクールでティンパニの演奏に専念できる環境は、ほんとうに幸せそのものでした。とりわけ自由曲では、静から動へ、ティンパニが持つ楽器としての持ち味を存分に活かした譜面を頂き、「自分の技術をできる限り高め、12分間に詰め込んでやろう」と思ったものでした。

ティンパニ皮の交換直後だったこともあり、こまめに基礎チューニングを行い、細かいピッチや楽器の音質について考えることも増えたのですが、そんなある日(本番1週間前くらいでしょうか)、「4台のうち一番小さい23インチは音質が好みじゃないから、それ以外の3台を最大限に使うチューニングにしようかな?」とシミュレーションしたことがありました。そのときは合奏中に試してみて「やっぱり音を変える回数が増えるから慌ただしいな」「低音域の楽器に高音を出させると音の伸びが悪いな」と感じた程度でやめにしました。遊び半分のようなものだったので、これを実際に使うとは思ってもいませんでしたが…

 

コンクール当日、トラック移動中の保管環境が悪かったせいか、23インチの音質が大きく狂ってしまい、いくら会場の室内で冷やしても、基礎チューニングをいじっても安定しない。舞台裏で調整できる時間などほぼ存在せず、そのまま舞台上へ。「コンクールの舞台で音程ゲージを調整する奏者はいるとしても、チューニングキーで皮の張り方そのものを直す奏者なんていないだろうな…」と思いつつも、事態を収拾するために冷や汗をかいていました。

 

演奏が始まる数秒前、「曲に出てくる最初のEsの音がダメだったらもう23インチは使わない。あのとき考えてたチューニングを使おう」と決断して、約30秒後には23インチを捨てることが確定し、そこから先は自分の記憶力だけが頼りの勝負でした(一応チューニングは譜面に書いていたけれど、その場で譜面を読む余裕がほとんどなかった)。おそらく12分間で5~6回は叩き間違えたのではないでしょうか。

 

演奏が終わって、呆然としたし、とにかく悔しかった。予想もしていなかったトラブルが起きたこと。それに対応できなかったせいで、本来の技量を発揮できなかったこと。あれだけ練習した演奏なので本番の録音CDは一応買いましたが、未だに聴けずにいます。

 

自分自身のコンディションを整えるという点ではうまくやれていたかもしれませんが、楽器のコンディションについて、考えの甘い点があったのかもしれません。今回起きたことは再び起きないとも限らない。ならば後輩に同じ思いをさせてはいけない。させないように力を尽くすのが自分の務めだ、そう感じました。

 

あの日から現在に至るまで、楽器のメンテナンスや保管状況について、改善できる点を自分なりに洗い出し、直せる部分は随時直しています(工具や部品を買うために東急ハンズへ何度足を運んだことか…)。

その上で、自分自身の演奏については、できるだけ気負いをせず、肩の荷を下ろして楽しく練習に臨んでいます。

あの日の失敗は、ともすればティンパニを嫌いになってしまいそうなほど強烈な経験だったけれど、あの楽器とは長い付き合いだし、なんだかんだで愛情のほうが上回った。そんな印象があります。

 

ちなみに、あす2月10日(土)の定期演奏会で気に入っているティンパニ担当曲は、♪陽はまた昇る。吹奏楽界ではしばしばティンパニに無闇な大音量を叩かせ、さながら“音程のあるコンサートトム”のような役割を与えている譜面が散見されます。他方、P.スパーク氏による本作では、ティンパニの持つ“響き”が最大限に活かされており、合奏のたびにその構成の美しさに魅了されています。バンド全体のクオリティも高いので、本当に本番が楽しみです。

 

できることならば、いつかまたコンクールで、万全なコンディションのもと、ティンパニの演奏がしたい。

…もちろん自分が上手いだなんて到底言えませんが、自分と同じくらいの熱量を持って「ティンパニが好きだ」と言っているプレイヤーが身の周りになかなか見つからないので。