4人くらいに見せたいブログ

ぼくのこと好きな人ってだいたい4人くらい

ブラアカ引退記事② あるるのドラム史(前編:2016年度)

ドラム演奏に用いられる背もたれのない椅子には、「Throne(スローン)」という名前があります。その意味は王様が座る“玉座”。バンドを後ろから率いる唯一の存在として、ドラム奏者の影響力・存在感は王様にも等しいということなのでしょうか。

中高時代にはそれほど力を入れて練習しなかった(高校時代はむしろ敬遠していた)ドラムに対し、狂ったように熱を上げ、暇と持ち曲がある限り練習し続ける日々こそが、我がブラアカ生活・後半のハイライトであり、前の大学では体験させてもらえなかった「遅れてきた青春」そのものだったように感じます。

 

2016年2月からわずか2年で14曲、延べ18回もの舞台で“玉座”に身を置かせていただいたことになります。歴代ブラアカ打楽器奏者でも指折りの多さでしょう。決して巧い奏者とはいえないぼくのチャレンジを受け入れてくれる、この団体の度量の深さに、本当に感謝しています。

今回は、他の誰のためでもなく自分のために、これまでにドラムを担当した曲について、覚えていることをつらつらと書き出していきます。こんなもん印刷物に載せた日にはなぐられちゃいますよね

 

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①Happiness(2016年3月1日  訪問演奏会)

2016訪問演奏会の3曲目。♪ファンタズミック!→♪希空の次、場がそこそこ温まってからの出番なのでやりやすかった記憶があります。
ミュージックエイト(M8)の譜面とはいえ、バスドラムとスネアドラムで表裏を「ドンタンドンタン」叩くだけでも、初心者にはどうしてもテンポの伸び縮みが生じてしまう。しかもよりによってスネアドラムのフィルインから始まる編曲だったため、副指揮から「そのドラムじゃ曲始められん」「メトロノームを使って練習してください」と厳しく言われつづけた記憶があります。他のブラアカ曲や春アン3枠の練習を並行するのは結構しんどかったですが、なんとか本番前には形になりました。

本番ではあたたかい手拍子を頂き、生徒さんからのアンコールにより2度目の演奏もやりました。コンサートホールではなかなか難しいけれど、手拍子ってやつは最高のメトロノームです(当然安定しないこともあるけど、嬉しいからこっちから合わせにいっちゃいますよね)

 

 

②花は咲く(2016年3月1日  訪問演奏会)

同じく2016訪問演奏会、シメの一曲。自分が吹奏楽をやっていた中高時代にはウィンズスコアがたぶんなかったので、実は初めてのウィンズスコアでした。ミュージックエイトに比べると譜面のグレードが高く、ドラム譜もおしゃれな感じ。当時の自分には譜面どおりに叩けなかったような記憶があるけれど、バラードにおけるトム回しのおもしろさを知りました(そもそも原曲にドラムないからすごい)。

ドラムよりはむしろ、前半に地味にあるスネアドラムのほうに緊張していました。ああいうクラシック的なスネアの譜面って意外と少ないもんですから。そういえば最も苦手なスネアドラムは全く克服しないまま引退するね…

 

 

塔の上のラプンツェルメドレー(2016年3月7日 春のアンサンブル大会「みやとくアンサンブルファイナル」)

引退するオーボエ奏者・みやてつさんからの「ドラムできたりする?」というオファーに二つ返事してしまい、木打アンサンブルに参加。ドラムの練習時間がさらに増加したことをちょっぴり後悔しつつも、練習中はメンバーの皆々様がやさしく見守ってくださいました。

いま本番の録画を見返すと、ハイハットの踏みかたが間違っていたり(説明は省きますが、要は踏むときの音が出すぎ)、トムの打面角度がめっちゃ傾いていたりと、いろいろと初々しさがあります。アンサンブル自体は、打楽器パートの2つ上で一緒に参加したTさんをして「一番楽しかった」と言わしめた演奏でしたが、自分の技術的にはまだまだ発展途上…という感じでした。

後日談としては、2016定演2部メインの選曲でこの曲が宝島と決選投票になりましたね。こちらが選ばれていたらぼくがドラム(remake)をやっていたんでしょうか。

 

 

オーメンズ・オブ・ラブ(2016年4月14日 新歓演奏会/ 5月14日 五月祭演奏会)

2016新歓・五月祭pops。最初に「難しいとこ攻めよう」と決意した曲でした。譜割りのときパートの人はたいそう驚いたことと思います。まだまだテンポ維持に課題が多いぼくにとって、「BPM160」は相当な壁でした。

本番当日までハラハラしたのが、バスドラムペダリング。なかなか足が言うことを聞かない中、ヒールダウン(かかとをペダルにつけたまま、足首の動きでつま先を上げ下げする奏法)でよくがんばったなあと思います。一曲通しでやると足首からすねの辺りが毎回痛くなっていました。

このときのぼくのドラムは、正指揮から「なんで今日あんなに安定してたの」と言われるような成功ぶりでした。フルート医進2女(長髪のほう)にも好評だったらしいですね(ご本人は覚えてないかもしれませんが、上級生紹介パンフにてぼくの紹介ページにそう書いてありました)。

それから、五月祭演奏会の初回練にて、入ったばかりの1女がクラッシュシンバルをぶちかまして合奏が止まった想い出もあります(ちょっと穏やかになったバージョンが本番で採用されました)。あれが新潟流だったんですよね、なつかしい。

 

⑤じょいふる(2016年5月14日 ブラアカ路上ライブ!)

2016五月祭デモバンの2曲目。指揮者がいきものがかりの原曲をあまり知らなかったのか、あるいは知りすぎていたのか(勝手な推測ですが)、譜面表記より2段階ほど速い、BPM170台のテンポで振ってくるのがとても大変でした。本番ではリムショットが全然当たらず、イマイチ決まらない感じになってしまったけれど、長期的な練習の成果か、だんだんスティックさばきが速くなってきている、そんな過渡期の曲でした。

 

 

*Happiness(remake) (2016年11月26日 ブラアカ路上ライブ!)

2016駒場祭デモバンの3曲目。駆け出しの次期副指揮を支えるぞ~と思い、前述①の頃から譜面をかなりリニューアルしました(やや原曲に寄せた)。指揮者もぼくも緊張したのか、本番だけ爆速だったのに、全然自分では気がつきませんでした。

高身長トランペッターでおなじみ、Nくんの司会きっかけでフィルインを始めたので「ぜひ、900番教室を目がけて走り出してください」という力強い口調のセリフを鮮明に覚えています。

演奏については、まあそこそこ安定していたと思います。サビの「走り出せ」でトランペットが実際にすごく走るので、テンポを留めるのが大変でした。それから、演出に参加するタンバリン…とにかく画期的でした。

 

 

⑥Mission:Impossible(2016年11月26日「ブラアカ映画祭!」)

2016駒場祭アンコール。やりたいことがそのままできた本番でした。打楽器パート2つ上のMさんから甚く褒められたり(終演後、ぺるあんの準備中にずっと曲の口笛を吹いていた)、同クラから「あの演奏には惚れた」と言われたりと、客観的には2年間でのベストパフォーマンスだったのではないかと思います。

譜面が指定するテンポは160だったはずなのに、練習では180を超え、本番では200に乗り、とにかく荒っぽい演奏になりました。ただ逆に言えばテンポが速すぎたおかげで、八分音符単位の刻みをあきらめ、音を抜くタイプの楽な構成を思いつけたのはラッキーでした(無理なく大音量を出せたので)。

ラストのフェルマータがかなり打率低かったけど、本番ではちゃんと決まってよかった(ライドに手をぶつけたけど)。管のみんなが全力でフェルマータを伸ばせる時間はおよそ4.5秒です。後世のドラム奏者へ引き継いでおきます。

 

⑦ディスコ・キッド(2017年2月5日 第22回定期演奏会)

2016定演アンコール。“2連続アンコール”ってところに調子乗ってる感がありますね。

ルーツが課題曲だなんて信じられないほどドラムの自由度が高く、1000人いれば1000通りの演奏がある曲です。4つの他団体演奏(ブラアカ先代(2014新歓・五月祭pops)/シエナブリヂストン久留米/課題曲参考演奏)を参考にし、生まれて初めて自作譜面を完成させました。我流のフィルインもいくつか考えて入れ込んであります。自分が考えた譜面、将来演奏する誰かにあげたいくらいの愛着があります。

 

しかし、結論から言えば本番の演奏は大失敗だった、というのはこちらに書いた通りです。

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思うに、曲冒頭のハイハットの音質が自分の中であまり満足行く仕上がりでなかったことが、アンコールのプレッシャーに拍車をかけてしまったのだと思います。それから、アイデアが湧いたからとはいえ、直前にあれこれ入れ替えると本番で飛びやすくなるな…という教訓も得られました。

ともあれ、この大失敗を期にぼくの演奏は長期的スランプへ入ります。後編へつづく。

ブラアカ引退記事① ぼくが悔いている2つの演奏

いよいよブラアカ引退が現実のものとなりました。当団では、引退にあたって3年生一人一人が想い出などを書き綴り、卒業文集のような冊子を作る慣わしがあるのですが、どうせぼくのこと、好き勝手に書かせれば載せるに堪えない長さになるに決まっているので、少しずつここに書き表していくことにします。

 

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ブラアカにおいて、ぼくが「悔いている」過去の演奏について。

 

思うに、自分のパフォーマンスに対して後悔や満足が生じるメカニズムは、予想と結果における「できる」「できない」の組み合わせ、2×2の4通りにまとめられるのではないでしょうか。

 

5年間の演奏ブランク明けであるブラアカ1年生当時のぼくは、「自分がパート内で一番下手な奏者である」という事実に直面しており(合奏でも“今以上に”落ちるし、音外すし)、難しい楽器を担当しようとする気力がほとんど残っていませんでした(いくつかは諭されるように任されたものもありますが)。

 

打楽器の譜面は、選ぶ楽器ごとに難易度が大きく異なります(たとえばポップス曲において、ドラムの難易度をタンバリンが超越することは稀でしょう)し、もちろん奏者ごとに得手不得手があります。

そんな中で当時のぼくは、積極的に楽な譜面を選んでいたような気がします。大勢に影響がないあの楽器とか(それが好きな人に怒られそうだから伏せておくけど)、中高時代の地力がそこそこ残っていたティンパニとか。

 

その結果としてぼくの演奏は、

①「できて当たり前だし、できた」

②「できなさそうだったし、順当にできなかった」

という2つのパターンに収まり、どちらにしても深い感慨は残らないものとなりました。あくまでバンドの下手側、すみっこに身をおくことができたという喜びくらいのもので、それ以上でも以下でもない感じ。

 

しかし、そんな風にのらりくらりと第21回定演(『楓葉の舞』とか)を終えた2年前の春から、ぼくには何かしらの心境の変化があり、かなり冒険的な楽器を選び、たくさん個人練をするようになりました。

デモバン(本公演前座の小さな演奏会)ですら一度もやっていないドラムを突然「五月祭でやるぞ😆」と宣言したり、アンサンブルを期にビブラフォンに目覚めたり、ティンパニについては今まで取り入れていなかったフォームや奏法を切り替えてみたり。 

 

演奏にのめり込むとともに、②のパターンはほぼ消滅し、代わりに新たな2パターン、

③「できないと思ってたけどできた」

④「できるはずなのにできなかった」

が現れはじめました。

 

そして、④のパターン、すなわち、当初の楽観的な予想が裏切られた場合こそが、最も強い後悔をもたらすのだと思います。

 

前段が長くなりましたが、ぼくには④のパターンに該当する演奏が2つ存在するという話です。本編はもっと長いです。

 

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♪ディスコ・キッド(第22回定期演奏会/2017年2月5日)

アンコールのドラム担当は責任重大です。表向きは演奏会が終わったということになっていても、バンドを背負う一仕事がまだ残っている…という感覚は、かなり独特のプレッシャーを与えるものです。

 

そのプレッシャーがかえって良い結果を生んだのが、第23回駒場祭演奏会(2016年11月26日)アンコールの♪Mission:Impossible。その時点での自分の力量を上回る(115点くらいの)パフォーマンスにより、麻薬にも近い快感と充実感を得たぼくは、定演のアンコールでも十分過ぎるほどの準備をしてきたつもりでした。練習番号ごとにやることを変えてみたり、ブラアカ先代の演奏や諸所の演奏をリサーチして、ソロのアレンジを練りまくったり。数日前にも譜面いじったりしたっけ…

 

でも、本番になって頭が真っ白になった。ソロを失敗するならばまだしも、なんでもないところで手が思うように動かなくなり、むやみにシンバルをひっぱたき鳴らしてしまった。

 

長い間「あの演奏はバンドをぶち壊したなあ」とずっと思っていました。DVDも観られなかった。 最近になってようやく気持ちが落ち着いたので観てみたら、思ったよりはマシな仕上がりでした。ソロもしっかりできていたし、意欲を持って練習した成果は自分を裏切らないのだと実感しましたが、それでもあの瞬間の恐怖は、決して味わいたくない経験として未だに色濃く残っています。

 

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♪マーチ・シャイニング・ロード/時に道は美し(第57回東京都職場・一般吹奏楽コンクール/2017年8月5日)

 

中学1年からティンパニに触れてきたぼくにとって、プレイヤーとしての集大成となる最後のコンクールでティンパニの演奏に専念できる環境は、ほんとうに幸せそのものでした。とりわけ自由曲では、静から動へ、ティンパニが持つ楽器としての持ち味を存分に活かした譜面を頂き、「自分の技術をできる限り高め、12分間に詰め込んでやろう」と思ったものでした。

ティンパニ皮の交換直後だったこともあり、こまめに基礎チューニングを行い、細かいピッチや楽器の音質について考えることも増えたのですが、そんなある日(本番1週間前くらいでしょうか)、「4台のうち一番小さい23インチは音質が好みじゃないから、それ以外の3台を最大限に使うチューニングにしようかな?」とシミュレーションしたことがありました。そのときは合奏中に試してみて「やっぱり音を変える回数が増えるから慌ただしいな」「低音域の楽器に高音を出させると音の伸びが悪いな」と感じた程度でやめにしました。遊び半分のようなものだったので、これを実際に使うとは思ってもいませんでしたが…

 

コンクール当日、トラック移動中の保管環境が悪かったせいか、23インチの音質が大きく狂ってしまい、いくら会場の室内で冷やしても、基礎チューニングをいじっても安定しない。舞台裏で調整できる時間などほぼ存在せず、そのまま舞台上へ。「コンクールの舞台で音程ゲージを調整する奏者はいるとしても、チューニングキーで皮の張り方そのものを直す奏者なんていないだろうな…」と思いつつも、事態を収拾するために冷や汗をかいていました。

 

演奏が始まる数秒前、「曲に出てくる最初のEsの音がダメだったらもう23インチは使わない。あのとき考えてたチューニングを使おう」と決断して、約30秒後には23インチを捨てることが確定し、そこから先は自分の記憶力だけが頼りの勝負でした(一応チューニングは譜面に書いていたけれど、その場で譜面を読む余裕がほとんどなかった)。おそらく12分間で5~6回は叩き間違えたのではないでしょうか。

 

演奏が終わって、呆然としたし、とにかく悔しかった。予想もしていなかったトラブルが起きたこと。それに対応できなかったせいで、本来の技量を発揮できなかったこと。あれだけ練習した演奏なので本番の録音CDは一応買いましたが、未だに聴けずにいます。

 

自分自身のコンディションを整えるという点ではうまくやれていたかもしれませんが、楽器のコンディションについて、考えの甘い点があったのかもしれません。今回起きたことは再び起きないとも限らない。ならば後輩に同じ思いをさせてはいけない。させないように力を尽くすのが自分の務めだ、そう感じました。

 

あの日から現在に至るまで、楽器のメンテナンスや保管状況について、改善できる点を自分なりに洗い出し、直せる部分は随時直しています(工具や部品を買うために東急ハンズへ何度足を運んだことか…)。

その上で、自分自身の演奏については、できるだけ気負いをせず、肩の荷を下ろして楽しく練習に臨んでいます。

あの日の失敗は、ともすればティンパニを嫌いになってしまいそうなほど強烈な経験だったけれど、あの楽器とは長い付き合いだし、なんだかんだで愛情のほうが上回った。そんな印象があります。

 

ちなみに、あす2月10日(土)の定期演奏会で気に入っているティンパニ担当曲は、♪陽はまた昇る。吹奏楽界ではしばしばティンパニに無闇な大音量を叩かせ、さながら“音程のあるコンサートトム”のような役割を与えている譜面が散見されます。他方、P.スパーク氏による本作では、ティンパニの持つ“響き”が最大限に活かされており、合奏のたびにその構成の美しさに魅了されています。バンド全体のクオリティも高いので、本当に本番が楽しみです。

 

できることならば、いつかまたコンクールで、万全なコンディションのもと、ティンパニの演奏がしたい。

…もちろん自分が上手いだなんて到底言えませんが、自分と同じくらいの熱量を持って「ティンパニが好きだ」と言っているプレイヤーが身の周りになかなか見つからないので。

絵が描けぬバカ、音取れぬバカ(なぜ不得意なのか?その原因について)

絵を描くのが絶望的に下手な人間です。白い画用紙やペイント画面を前にしても、何から手をつけていいかわかりません。

その反面、ぼくには絶対音感があり、それなりに歌が上手な自信もあります(ピッチはあまり正確じゃないけど)。

 

人間が誰しも持つ「得意・不得意」について、その原因を突き止めるのは困難です。そもそも、自分ができることについてわざわざ理由を問い直す必要はないし、できないことについて考えを及ばすのはあまり心地よい時間ではありません。

 

しかし、とりわけ人間の五感に直結する音感や美術的センスなどに関しては、その能力が「ある世界」と「ない世界」を両方イメージすることは難しいのではないでしょうか。ぼく自身、絶対音感がなかった頃に自分がどのように音楽を聴いていたかを全く思い出せません。能力の有無により、五感で捉えられる世界が根本的に変わってしまうのだろうと推測しています。

 

そんなわけで、眼前の世界を変えてしまう「得意・不得意」という現象の一部分だけでも理解できないかと、しばしば考えることがあります。以下は断片的な思いつきをまとめたものです。

 

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自分がなぜ絵を満足に描けないのか、描きかたの工程に即して考えてみました。結論から言えば「頭を使いすぎている」ということかもしれません。

 

たとえば「りんごの白黒デッサン」を描こうとするとき、ぼくは真っ先にりんごの輪郭、言い換えれば「『りんご』と『非りんご』の境目」を厳密に画定したい気持ちになります。物体のフォルムは輪郭に表れているのだから、まずはその線を忠実になぞってから、その内側を""うまいこと""塗り込めば、きれいなデッサンが完成する…という思い込みがあるようです。

また、対象物の色合いを観察しようとするときには、色へのこだわりが出すぎてしまいます。目の前のりんごには、光の当たりかたによる陰影や個体ごとの模様がありますが、その細かな違いを黒1色で表現することができません。

(熟した部分の赤と未熟な白、あとはヘタの茶色の違い、どうやって描けばいいんだろう?いや、そもそもりんごは黒くない!…)

迷いに迷った結果、大体の場合はベタベタ塗りつけるような描きかたになります。

その結果として、色や陰影の濃淡が極めて乏しく、立体感のない絵が完成します。

 

絵が得意な皆さんの場合(もちろんアプローチは人それぞれでしょうが)、輪郭をラフに決めてから、サラサラっと濃淡で立体感を出しつつ形を決めて、一丁上がり!という感じではないでしょうか。

しかしぼくからすると、その方法では「りんごを描いている」という実感が得られません。輪郭もろくに決めずにサラサラ塗っている時間は、ぼくにとってたいそう無目的なものに感じられてしまうのです。得意な人から描きかたを一度教えてもらえば、りんごの描き真似はできるようになるかもしれませんが、モデルが変わればまた元通りのアプローチを取るでしょう。ぼくと他人とでは、物の見えかたが根本的に異なるのかもしれません。

 

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絵が得意な人に対して、「大嫌いなもののイラスト」を描いてもらう実験というのはどうでしょう。

 

推測するに、「絵が得意」になる原因は、「見るスキル」・「描くスキル」にあるのではないでしょうか。

つまり、絵が得意な人は、日ごろ対象物をしっかり見ているから描けるようになる。あるいは、事物を微細に観察せずとも、脳内に鮮明なイメージを浮かべ、それをイラスト化できる技能がある。いずれかの要素が原因となっていそうです。

 

そこで、見るのもイヤなほど嫌いなもののイラストを描いてもらうことで、

・他の絵ほどは上手に描けない→「見るスキル」が重要である

・他の絵と同様に上手く書ける→「描くスキル」が重要である

というように、原因のスクリーニングができるのではないかと考えました。

 

もちろん人によってタイプが異なるとか、2つのスキルが共に秀でているという場合もあるでしょう。嫌がられそうでなかなかできませんが、たいへん興味深い実験です(被験者募集中)。

 

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ぼくは「幼少期の音楽訓練を積まずに絶対音感を習得した」珍しい人種です。

 

これまでの音楽遍歴は、

~小学校中学年:まじめに音楽の授業をがんばる程度

小学5年生:児童合唱を始める(中学3年生でやめる)

中学1年生:吹奏楽を始める(★)

中学2年生:ピアノを習うがすぐに飽きてやめる(合唱コンクールで伴奏はやった)

 

というように、それほど特殊なものではありません。

 

児童合唱をやっていた時代も譜面は読めず、音感はありませんでした(耳で覚えたメロディーをそのまま歌うだけで手一杯)。

★の中学吹奏楽部時代、学校のティンパニに音程ゲージが付いておらず、「これくらいペダルを踏んで出るこの音がド(C)っていうんだな…」というように、音程と音名の照応作業を繰り返し行うようになってから、少しずつ音程が分かるようになり、いわゆる絶対音感や調性の感覚が身につくようになりました。ピアノをかじっていた時期には既に絶対音感が完成していた記憶があります(先生がお試しで調音のテストをやってくれたけど、4和音程度ならばだいたい全問正解だった)。

 

ただし、このティンパニ練習が絶対音感養成につながったと断言することはできません。幼少期に聴いた音楽(CM音楽のような極めて短いものを含む)のメロディーラインを、特に聴き返さずとも、現在まったく同じキーで歌うことができるので、音感の素質は幼少期からあったのかもしれません(訓練どころか音楽自体を全くやっていないので不思議ではあるけど)。しかしとりあえずは「中学に入ってティンパニを始めてから絶対音感が身についた!」と話すことにしています。ティンパニばんざい。

 

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つらつらと書いてみましたが、未だに「音程が分からない」世界について思いをめぐらすことは難しいです。絶対音感を持たない人にとって、音楽はどのように聴こえているんでしょうか。なぜ音程が身につかないのでしょうか。一部分でも分析ができた方はこっそりと教えてください。

あまり関係ありませんが、しばしば体調によって曲の音程やテンポが違って聴こえることがあって面白いです。特に寝起きで聴くと普段と違うなと感じます。これは高等な暇つぶし。

今、ここにいない人について(勝手にコンクールカウントダウン)

ブラアカには、本番直前になると、指名された人が練習後に士気を高めるためのスピーチを務める「カウントダウン」なる風習があります。コンクール直前を迎えるにあたって、今回は各パートの演奏リーダーが指名されているため、ぼくにスピーチの義務はありませんが、気が向いたので勝手に書いてみます(口語体なのはそのためです)。

 

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ティンパニパート演奏リーダーの準・非りあるるです(笑)。管のみんなからも何人か声を掛けてもらったんですが、今回のティンパニはかなり目立ちますね。

まだまだ下手っぴなところも残っていますけど、とりあえず「ぼくの音が無いと気になる」くらいには、バンドの中で重要なプレイヤーになれているみたいで、本当に、なんというか、足を引っ張らないことだけをビクビク考えながら合奏に乗っていた2年前のコンクールと、今の自分の姿を比べてみると、とにかく長い時間が経ったんだなあと感じます。結構あっという間なんだけどね…

 

コンクール予選に向けた練習も大詰めで、もうひと頑張りする気力が続かない!っていう人もいるんじゃないかなと思います。そういうときには、このC棟の外側にいる人、今この場所にいない人のことを考えてみてください。

 

ぼくらがこうやって練習してる今、ブラアカ1年生で初心者の人って何してるんですかね?2年生で、悩みに悩んでコンクールを降りることにした人、それから3年生で、この夏はサークルなんかやってる暇ない!っていう人もいますよね。そういう人だと音楽のことすら考える余裕ないかもしれないね。

 

そういう人たち、この建物で練習してない人たちと、自分が今やってる練習は関係ないんじゃないか?って、ついつい思ってしまいがちなんだけど、決してそんなことはないはずですよね。駒場祭とか定期演奏会になったら、たぶんみんな帰ってきて、また同じ音楽をつくる仲間になるわけです。で、そのときに「しばらく会わないうちにめっちゃ上達したな」とか、「先輩かっこいいな、サシ練お願いしたいな」とか、そういうふうに思ってもらえるようになるために、今の練習があるんだ!って考えたら、けっこう楽しくなるんじゃないかなと。

 

別にブラアカに限った話ではないです。

ぼくは某予備校のバイトで模試運営のリーダーをやってるんですけど、今週土日は東大オープンがあるんです。第1回東大即応オープンが。ぼくらのコンクール本番中、模擬試験の教室で問題を解いてる人、「数学0完だわ~!」とか慌ててる人だって、自分に全く関係ないとは言い切れませんよね。

晴れてその人が東大に入学して、たまたま新歓のイカした看板を見て新歓演奏会に来て、流れでブラアカとかいう団体に入ることになったら、そのとき、この夏コンクールの練習を頑張ったあなたは、やっぱりそのぶんだけ「頼もしい、かっこいい先輩」に見えるわけですよね。そういう未来を実現するために、今の頑張りがあるんじゃないかってことですね。

 

なんというか、わかりにくいことを言いますけど…こんな感じで、より素敵な未来を引き寄せるために、一人ひとりが自分なりに決めた分野で努力を積み重ねて、新しい出逢いを生み出すみたいな、そういう地道なプロセスこそが人生なんじゃないかな?ってぼくは思ってます。

逆に言えば、コンクール乗ってない人だって受験生だって彼らなりの努力をしてるはずなんですよ。だから、彼らが別の分野で頑張ってるぶん、自分もコンクールもうちょっと頑張るぞとか、そういうモチベーションの高めかたもあるよなって思ったりします。

 

同じ建物にこもって練習ばっかりやってると、どうしても本番のことだけとか、楽譜にある1個1個のパッセージだけとか、考えの視野が狭くなりがちなんで、あえてかなり視野の広い、壮大な話をしてみました。

 

そんなわけで、ぼく個人は「宇宙のために」ティンパニをやろうと思ってます(笑)。

あともうちょいだけ楽しく頑張りましょう。ありがとうございました。

おそらく人生最後の吹奏楽コンクールに向けて(あと8日)

開設当初の予想とは異なり、このブログは至ってまじめな奏者日記と化しています。

五月祭は大盛況のうちに終わり、上半期の山場、コンクールの季節がやってきました。今年も1・2年生を中心に総勢55名で挑みます。(どうでもいいけどブラアカの現役3年間でコンクールに3回とも乗ってる人ってホントに少ないね)

 

第57回東京都職場・一般吹奏楽コンクール

団体番号9番(8/5(土) 16:45~)

東京大学ブラスアカデミー

☆演奏曲

課題曲Ⅱ マーチ・シャイニング・ロード(木内涼)

自由曲  時に道は美し(長生淳)

 

7月に入るころまで、かなり長い時間をかけて音程の擦り合わせ作業が行われてきました。打楽器にとっては暇な時間がやや多い時期でしたが、歪んだレンガで家は建たないわけで、バンドにとっては必要不可欠な作業です。

 

そんなレンガ作りの過程で、管楽器奏者の皆さんが部分的に""お休み""を求められている一方、ぼくを含む打楽器奏者(今年の編成では弦も含まれますが)は1パート1プレイヤーであり、替えが利きません。

打楽器は練習時間がほぼ合奏中に限られている…という事情はあるにせよ、自分で気付ける範囲の違和感、特にぼくが担当するティンパニの音程の問題については、なんとしても取り除かなければならない!そんな責任を改めて感じています。チューニングについては5セント(半音の20分の1)以内の精度を常時目指すようになりました。(それでも甘いと思いますか?ごめんなさい、足で操作してるんで😤💨)

その反面、本来ここがあるべきスタートラインだったのだろう。ここからが勝負どころなんだ…と、新たなモチベーションがふつふつと生まれている昨今です。

 

 

正指揮は合奏を通して、一定の努力で越えられるハードルを、練習方法を示しながら置きつづけてくれています。課題と対策の明確化という点では、毎回非常に意義深い合奏になっていると感じます。

そしてその結果、ハーモニーを落ち着いて聴ける部分がかなり増えてきました。大荒れしてしまう部分も多少はあるけれど、本当にいい感じ。

 

そんな今、ぼくが他パートの皆さんに対してわざわざ口出しする必要なんて全くないんでしょうが、それでもバンド全体に通じる一般論として、まだやれることはたくさんあるだろうと感じています(大いなる自戒も含めて)。

 

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★ひとつめ

指揮をしっかりと見てください。

指揮者は奏者全員に対峙して、曲想を身体運動で表現できる唯一の存在です。他の誰よりも真摯に曲のことを考えていて、時に、言葉では語り尽くせないニュアンスをも壇上から伝えてくれます。しかし逆に、「こうやって吹いてほしい」というメッセージが奏者に届かなかったとき、指揮者は言い知れぬ孤独を感じるでしょう。ひと目でたちどころに理解できるわけではないけれど、彼が提示しているCueを読み取る努力は必要だと思いませんか?

 

 

★ふたつめ

自分のパートに限らず、曲の中で“大好きな場面”をたくさん作ってください。

五月祭演奏会の頃に比べれば、曲について冷静に見つめ直す余裕が生まれていると思います。「頑張って吹く」「抑える」という初歩的な二項対立を越え、周りを見渡して、このバンドの良い部分をたくさん見つけましょう。

「この部分は美しいな…」とか、「この部分だと、このパートが生き生きしてるな」とか、ポジティブな要素を探していくことで、日々の合奏がより楽しくなるはずです。

そして、その大好きな部分をよく聴こえさせるために自分はどうすべきか、スコアとにらめっこしつつ考えることで、曲の見えかたが変わってきます。

 

自由曲でぼくが大好きなのは「時間が止まる場面」です。ゲネラル・パウゼという意味ではなく、みんなが音を伸ばしている部分。各楽器の伸ばしが乱れなく揃ったとき、そのハーモニーは何時間でも何年でも、否、永遠に続くのではないかと感じてしまいます(たとえばDの金管やWの直前など)。

課題曲についてもいろいろあります(割愛)。曲決めは難航したけれど、今となっては本当にこの曲でよかったと感じています。さわやかなハーモニーをお届けしたい。

 

ちなみに「他パートを立てる演奏」の重要性については、過去の記事にも書いた通りです(誰も覚えてないと思うけど)。

dai23nootoko.hateblo.jp

 

★みっつめ

ちょっとした失敗にビビらないこと。

金賞・都大会出場を目指す場合、求められる演奏クオリティは高いと思いますが、あくまで評価はバンド単位。各々の奏者がひとつふたつトチったところで結果が大きく変わるとは思えません。ぼくがブラアカ1年生のときは、自由曲の打楽器Soliみたいな部分でチャイムが三連符1個分思いっきりズレましたが結果は金賞でした。ささいな失敗に気を取られすぎず、普段どおりのパフォーマンスを発揮できれば、失敗したぶんは十二分にリカバーできます。

 

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ひとりの奏者として、あるいはパートを取りまとめる立場として大変な思いをしている人へ。あと1週間ちょっと。あと少しで、ひとまずの成果と結論が出ます。きっと「よかった、よかった」と皆で言い合っている未来が訪れるはずです。

練習に疲れたら周りを見て、仲間の演奏を聴いてください。一旦歩みを止めて振り返ることで、理想へと着実に近づいている自分たちの姿に気付くことができるのではないでしょうか。

 

 

最後にもうひとつだけ。我々が東大生の集まりであることは、他バンドには真似できない、唯一無二の強みであるはず。だからこそ、思慮の足りない音を出すのはもったいない。勝負はたったの12分ですから、放っておいても溢れだすハートと上手にバランスを取りながら、最後まで集中して、頭使って音楽しましょう。

やめるのやめた(近況報告)

ぼくのTwitterアプリには、昨年3月に書いたツイート下書きがずっと眠っています。

まもなくSセメスターが始まり、新2年生は進振りについて検討を始める時期ですが、ぼく自身も身の振りかたについて色々と考えた結果、勝手ながら来年3月をもって東京大学を中退することにしました。

これまで色々な方にお世話になりましたが、中でも東京大学ブラスアカデミーの皆さんに対しては、最も充実するであろう3年目をご一緒できないことをたいへん心苦しく思います。来年2月の定期演奏会まで、来る一つ一つの本番をできるだけ楽しくやりきること、それこそがわたしの悲願です。

「中退」というオプションについて考え始めたのは、ちょうど1年前のこの時期。ざっくりと言えば向学心が湧かなかったため、どこへ進学する気にもなれず、平成29年度進学選択は「不志望」で見送りました(だから降年したけど、未だにものぐさで学生証を交換してない)(中退するつもりだとそうなる)。

そもそもこのブログを作ったのも、中退についてできるだけひっそりとお知らせすることが目的でした。ぼくの身の上(←おもしろくない)についてTwitterで拡散したいとは全く思わなかったので。

 

しかし「なぜ辞めるのか?」という重要な自問に、ぼくはずっと答えを出せずにいました。漫然と「たぶんぼくは学問に向いてないし、就職したほうがお金稼げるし、大学辞めたほうがいいだろうな」というふうに考えるだけで、最後のアクセルを踏めないまま、時間だけが過ぎていきました。

この件について、生半可な気持ちでは話せない(ましてTwitterになんて流せない)!と感じて、これまで進路についての話題では万人に対し黙秘を貫いてきました。まさかそのまま進振りシーズンから半年も経ってしまうとは思いもしませんでしたが…

 

辞めるつもりで過ごしたこの1年間。ほんの少し優(@前期教養)を稼いだことを除けば、学問的な研鑽はほとんど積めていませんが、ぼくの身辺には主に2つの変化がありました。

 

1つ目、初めて「教育関係でないアルバイト」を始めたこと。

「この世の中には本当に色々な仕事があって、色々な人材が求められている」という当然の事実に改めて気づかされました。たとえばコンビニに置かれた商品一つとっても、その中には「生産者」「卸売業者」「販売者」というような、多種多様な仕事が介在します。このことは、「このまま好き勝手に学生を続けていたら、自分のことを必要としてくれる場所がなくなってしまうのではないか?」という不安を抱きながら暮らしていたぼくに、大きな安心感を与えてくれるものでした。

バイト先の人々は必ずしも学歴を積んでいるわけではないけれど、本当に楽しく魅力的です。学歴フィルターなんて何のためにあるんだ?と思ってしまうほど良い職場。仮に就活に(見かけ上)失敗したとしても、自分の資質を活かして楽しく働くことはきっとできるだろう…と、将来に少し希望が見えた気がしました。

 

2つ目、以前にも増してサークルに熱中したこと。

ドラムをはじめとする打楽器の練習量が増え、演奏に対しより深い思い入れを抱くようになったということもありますが、特に駒場祭以降、勉学やバイトを含め、サークルのみんなが多方面に頑張る姿を間近に見たことで得られる刺激は、非常に大きなものでした。

特に現・正指揮と副指揮の努力家ぶりには頭が下がります。もちろんアマチュア指揮者・プレイヤー(ついでに学生)としての彼らの円熟期はこれからでしょうが、できることならこれからも、彼らの活躍をできるだけ近くで眺めていたいという気持ちが強くなりました。

 

「来年度以降も学生を続ける」という、一見すると当たり前な結論へと心変わりしたのは、本当に最近になってからです。来年度の演奏会で扱う曲の練習にも身が入るようになりました。そして、「どこの学部に進学しようか」という、東大生としてありきたりすぎる悩みが、1年の周回遅れでぼくの所にもやってきました。

 

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大学を辞めないのは非常に簡単ですが(退学手続きをしなければいいだけ)、今後もぼくの学生生活は、毎年「辞める」「辞めない」のコイントスを強いられるような、あやういバランスの下に置かれ続けることでしょう。ぼくの実家はまるで太くないため、早稲田時代から学費は全額自己負担。今後万が一家計が立ち行かなくなることがあれば、たのしい学生生活を放棄してすぐ働きに出るつもりです。

また、自分の適性に合った進学ができるかどうかも本当に重要です。ぼくにとってレポート・論文を計画的に作成することは極めてストレスフルな作業であり(普通の文章ならスラスラ書けるのでより一層辛い)、人文系の研究を継続できるか?と考えると、分野によっては非常に怪しいところがあります。真面目なことを考えるのは苦手な性分ですが、楽しく学ぶため、そしてしっかりと卒業するため、最善の選択をする必要があります。

 

――「東大の人って難しいことばっか言うけど、ちゃんと聞いてると面白いから楽しそうだなって。俺は絶対入れないけど」

件のバイトを始めた頃の、先輩(いわゆる""Fラン大学""出身)からの言葉です。必ずしも肯定的な意味ではないかもしれませんが、東大生の個性・魅力を端的に捉えていると思います。「自分が学生(東大生)であるうちにできることは何なのか」と日々真摯に考えることが、残りの時間をかけがえのないものとするために不可欠なのだと実感しています。

あと何年学生を続けられるかは分からないけれど、ぼくに興味を持ってくれるあなたと過ごす時間こそが、ぼくがこの暮らしを続ける最大のモチベーションです。とことん楽しくやりましょう。

#ブラアカ秋合宿2016 総括

9月14日~17日と、北志賀でのブラアカ秋合宿を終えて帰ってきました。

 

これまでぼくは秋合宿2015・春合宿2016と経験してきましたが、合宿は今後扱う新曲の譜読みを立て続けに行う場所…そんな印象がありました。曲数が極めて多いため(10曲を超えているかも)、合奏時間はかなり細切れとなり、終始慌ただしく進みました。新しい曲に触れ続けなければならないので体力的にもハードでした。

 

その反面、今回の秋合宿2016では曲数をぐっと絞って非常に濃密な練習が行われました。特に副指揮(同期のスキンヘッド男)は、11月の駒場祭公演・来年2月の定期演奏会を合わせた彼の担当曲7曲(8曲?)のうち、駒場祭公演で一番の大曲""ミュージカル「レ・ミゼラブル」より""に持ち時間すべてを投入しました。 練習スケジュールから考えるとこれはなかなかスリリングな賭けなのでしょうが、個人的にはとても意義深い合宿となり、好判断であったと思っています。

 

東京大学ブラスアカデミーの駒場祭演奏会には「テーマ制」という特徴があります。

プログラムが1曲ずつ独立している他の演奏会とは異なり、駒場祭演奏会の曲目は、あらかじめ団内公募で定めたテーマに沿って決められます。

 

たとえば2015年の駒場祭公演「吹奏楽が紡ぐ“星の王子さま”」の場合は、

1.夜間飛行;『星の王子さまの』主人公がパイロットであることから

2.テキーラ;主人公が他の小惑星で酒飲みに出会う場面より

5.星の王子さま;物語を締めくくるメイン曲

(3・4曲目は自分が乗ってないので理由を忘れてしまった(._.))

というような感じで、曲順やパンフレット、司会進行などを組み立てています。さながら落語の三題噺のよう。

 

冷静に考えれば「なんでそんな手間のかかることしてるんですか?」という話なのでしょうが、一度経験してしまうとこれがなかなか奏者的にもエモく、お客さまからも例年ご好評を頂いているようです。

そして前述の「レ・ミゼラブル」は演奏会のラストを飾る曲なので、今回の合宿には「駒場祭公演のクライマックス(オチ)を固める」という意義があったと言えます。

 

合宿最後の練習時間、全員で集中を高めてからの初通しは、いささか未熟ながらも熱量を感じる、とても感動的なものでした。わたしはブラアカ入団直後から、本番での演奏が白熱すると鼻水が垂れる体質になってしまったのですが、今回もそうなる兆候をひしひしと感じました(そこは嘘でも「泣けた」とか言うべきでは?でもまぁ正直ちょっとうるっときたけど)。

 

わたしたちはこの感動的なクライマックスに向けて演奏会を組み立てているということ。他の曲に接する際も、必ずこれを意識しながら練習を進めていくことこそが、素晴らしい演奏会を実現するための王道ではないでしょうか。

スター・ウォーズ」、特に管楽器は大変そうだからがんばってね★

 

レ・ミゼラブル」でのわたしは、主に大砲の役割を果たすバスドラムを、「これ以上やったら手首が抜けちゃう><」と思いながら爆音演奏しています。きっと本番ではこれ以上やってしまうのだろうと思います。別の曲では2016年の個人的課題楽器であるドラムも担当します。よろしければ!

 

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東京大学ブラスアカデミー駒場祭演奏会《ブラアカ映画祭!》】

日時:2016年11月26日(土)17時(入場無料)

会場:東京大学駒場キャンパス 900番講堂 

曲目:ミュージカル「レ・ミゼラブル」より

   スター・ウォーズ 他

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