4人くらいに見せたいブログ

ぼくのこと好きな人ってだいたい4人くらい

絵が描けぬバカ、音取れぬバカ(なぜ不得意なのか?その原因について)

絵を描くのが絶望的に下手な人間です。白い画用紙やペイント画面を前にしても、何から手をつけていいかわかりません。

その反面、ぼくには絶対音感があり、それなりに歌が上手な自信もあります(ピッチはあまり正確じゃないけど)。

 

人間が誰しも持つ「得意・不得意」について、その原因を突き止めるのは困難です。そもそも、自分ができることについてわざわざ理由を問い直す必要はないし、できないことについて考えを及ばすのはあまり心地よい時間ではありません。

 

しかし、とりわけ人間の五感に直結する音感や美術的センスなどに関しては、その能力が「ある世界」と「ない世界」を両方イメージすることは難しいのではないでしょうか。ぼく自身、絶対音感がなかった頃に自分がどのように音楽を聴いていたかを全く思い出せません。能力の有無により、五感で捉えられる世界が根本的に変わってしまうのだろうと推測しています。

 

そんなわけで、眼前の世界を変えてしまう「得意・不得意」という現象の一部分だけでも理解できないかと、しばしば考えることがあります。以下は断片的な思いつきをまとめたものです。

 

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自分がなぜ絵を満足に描けないのか、描きかたの工程に即して考えてみました。結論から言えば「頭を使いすぎている」ということかもしれません。

 

たとえば「りんごの白黒デッサン」を描こうとするとき、ぼくは真っ先にりんごの輪郭、言い換えれば「『りんご』と『非りんご』の境目」を厳密に画定したい気持ちになります。物体のフォルムは輪郭に表れているのだから、まずはその線を忠実になぞってから、その内側を""うまいこと""塗り込めば、きれいなデッサンが完成する…という思い込みがあるようです。

また、対象物の色合いを観察しようとするときには、色へのこだわりが出すぎてしまいます。目の前のりんごには、光の当たりかたによる陰影や個体ごとの模様がありますが、その細かな違いを黒1色で表現することができません。

(熟した部分の赤と未熟な白、あとはヘタの茶色の違い、どうやって描けばいいんだろう?いや、そもそもりんごは黒くない!…)

迷いに迷った結果、大体の場合はベタベタ塗りつけるような描きかたになります。

その結果として、色や陰影の濃淡が極めて乏しく、立体感のない絵が完成します。

 

絵が得意な皆さんの場合(もちろんアプローチは人それぞれでしょうが)、輪郭をラフに決めてから、サラサラっと濃淡で立体感を出しつつ形を決めて、一丁上がり!という感じではないでしょうか。

しかしぼくからすると、その方法では「りんごを描いている」という実感が得られません。輪郭もろくに決めずにサラサラ塗っている時間は、ぼくにとってたいそう無目的なものに感じられてしまうのです。得意な人から描きかたを一度教えてもらえば、りんごの描き真似はできるようになるかもしれませんが、モデルが変わればまた元通りのアプローチを取るでしょう。ぼくと他人とでは、物の見えかたが根本的に異なるのかもしれません。

 

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絵が得意な人に対して、「大嫌いなもののイラスト」を描いてもらう実験というのはどうでしょう。

 

推測するに、「絵が得意」になる原因は、「見るスキル」・「描くスキル」にあるのではないでしょうか。

つまり、絵が得意な人は、日ごろ対象物をしっかり見ているから描けるようになる。あるいは、事物を微細に観察せずとも、脳内に鮮明なイメージを浮かべ、それをイラスト化できる技能がある。いずれかの要素が原因となっていそうです。

 

そこで、見るのもイヤなほど嫌いなもののイラストを描いてもらうことで、

・他の絵ほどは上手に描けない→「見るスキル」が重要である

・他の絵と同様に上手く書ける→「描くスキル」が重要である

というように、原因のスクリーニングができるのではないかと考えました。

 

もちろん人によってタイプが異なるとか、2つのスキルが共に秀でているという場合もあるでしょう。嫌がられそうでなかなかできませんが、たいへん興味深い実験です(被験者募集中)。

 

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ぼくは「幼少期の音楽訓練を積まずに絶対音感を習得した」珍しい人種です。

 

これまでの音楽遍歴は、

~小学校中学年:まじめに音楽の授業をがんばる程度

小学5年生:児童合唱を始める(中学3年生でやめる)

中学1年生:吹奏楽を始める(★)

中学2年生:ピアノを習うがすぐに飽きてやめる(合唱コンクールで伴奏はやった)

 

というように、それほど特殊なものではありません。

 

児童合唱をやっていた時代も譜面は読めず、音感はありませんでした(耳で覚えたメロディーをそのまま歌うだけで手一杯)。

★の中学吹奏楽部時代、学校のティンパニに音程ゲージが付いておらず、「これくらいペダルを踏んで出るこの音がド(C)っていうんだな…」というように、音程と音名の照応作業を繰り返し行うようになってから、少しずつ音程が分かるようになり、いわゆる絶対音感や調性の感覚が身につくようになりました。ピアノをかじっていた時期には既に絶対音感が完成していた記憶があります(先生がお試しで調音のテストをやってくれたけど、4和音程度ならばだいたい全問正解だった)。

 

ただし、このティンパニ練習が絶対音感養成につながったと断言することはできません。幼少期に聴いた音楽(CM音楽のような極めて短いものを含む)のメロディーラインを、特に聴き返さずとも、現在まったく同じキーで歌うことができるので、音感の素質は幼少期からあったのかもしれません(訓練どころか音楽自体を全くやっていないので不思議ではあるけど)。しかしとりあえずは「中学に入ってティンパニを始めてから絶対音感が身についた!」と話すことにしています。ティンパニばんざい。

 

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つらつらと書いてみましたが、未だに「音程が分からない」世界について思いをめぐらすことは難しいです。絶対音感を持たない人にとって、音楽はどのように聴こえているんでしょうか。なぜ音程が身につかないのでしょうか。一部分でも分析ができた方はこっそりと教えてください。

あまり関係ありませんが、しばしば体調によって曲の音程やテンポが違って聴こえることがあって面白いです。特に寝起きで聴くと普段と違うなと感じます。これは高等な暇つぶし。

今、ここにいない人について(勝手にコンクールカウントダウン)

ブラアカには、本番直前になると、指名された人が練習後に士気を高めるためのスピーチを務める「カウントダウン」なる風習があります。コンクール直前を迎えるにあたって、今回は各パートの演奏リーダーが指名されているため、ぼくにスピーチの義務はありませんが、気が向いたので勝手に書いてみます(口語体なのはそのためです)。

 

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ティンパニパート演奏リーダーの準・非りあるるです(笑)。管のみんなからも何人か声を掛けてもらったんですが、今回のティンパニはかなり目立ちますね。

まだまだ下手っぴなところも残っていますけど、とりあえず「ぼくの音が無いと気になる」くらいには、バンドの中で重要なプレイヤーになれているみたいで、本当に、なんというか、足を引っ張らないことだけをビクビク考えながら合奏に乗っていた2年前のコンクールと、今の自分の姿を比べてみると、とにかく長い時間が経ったんだなあと感じます。結構あっという間なんだけどね…

 

コンクール予選に向けた練習も大詰めで、もうひと頑張りする気力が続かない!っていう人もいるんじゃないかなと思います。そういうときには、このC棟の外側にいる人、今この場所にいない人のことを考えてみてください。

 

ぼくらがこうやって練習してる今、ブラアカ1年生で初心者の人って何してるんですかね?2年生で、悩みに悩んでコンクールを降りることにした人、それから3年生で、この夏はサークルなんかやってる暇ない!っていう人もいますよね。そういう人だと音楽のことすら考える余裕ないかもしれないね。

 

そういう人たち、この建物で練習してない人たちと、自分が今やってる練習は関係ないんじゃないか?って、ついつい思ってしまいがちなんだけど、決してそんなことはないはずですよね。駒場祭とか定期演奏会になったら、たぶんみんな帰ってきて、また同じ音楽をつくる仲間になるわけです。で、そのときに「しばらく会わないうちにめっちゃ上達したな」とか、「先輩かっこいいな、サシ練お願いしたいな」とか、そういうふうに思ってもらえるようになるために、今の練習があるんだ!って考えたら、けっこう楽しくなるんじゃないかなと。

 

別にブラアカに限った話ではないです。

ぼくは某予備校のバイトで模試運営のリーダーをやってるんですけど、今週土日は東大オープンがあるんです。第1回東大即応オープンが。ぼくらのコンクール本番中、模擬試験の教室で問題を解いてる人、「数学0完だわ~!」とか慌ててる人だって、自分に全く関係ないとは言い切れませんよね。

晴れてその人が東大に入学して、たまたま新歓のイカした看板を見て新歓演奏会に来て、流れでブラアカとかいう団体に入ることになったら、そのとき、この夏コンクールの練習を頑張ったあなたは、やっぱりそのぶんだけ「頼もしい、かっこいい先輩」に見えるわけですよね。そういう未来を実現するために、今の頑張りがあるんじゃないかってことですね。

 

なんというか、わかりにくいことを言いますけど…こんな感じで、より素敵な未来を引き寄せるために、一人ひとりが自分なりに決めた分野で努力を積み重ねて、新しい出逢いを生み出すみたいな、そういう地道なプロセスこそが人生なんじゃないかな?ってぼくは思ってます。

逆に言えば、コンクール乗ってない人だって受験生だって彼らなりの努力をしてるはずなんですよ。だから、彼らが別の分野で頑張ってるぶん、自分もコンクールもうちょっと頑張るぞとか、そういうモチベーションの高めかたもあるよなって思ったりします。

 

同じ建物にこもって練習ばっかりやってると、どうしても本番のことだけとか、楽譜にある1個1個のパッセージだけとか、考えの視野が狭くなりがちなんで、あえてかなり視野の広い、壮大な話をしてみました。

 

そんなわけで、ぼく個人は「宇宙のために」ティンパニをやろうと思ってます(笑)。

あともうちょいだけ楽しく頑張りましょう。ありがとうございました。

おそらく人生最後の吹奏楽コンクールに向けて(あと8日)

開設当初の予想とは異なり、このブログは至ってまじめな奏者日記と化しています。

五月祭は大盛況のうちに終わり、上半期の山場、コンクールの季節がやってきました。今年も1・2年生を中心に総勢55名で挑みます。(どうでもいいけどブラアカの現役3年間でコンクールに3回とも乗ってる人ってホントに少ないね)

 

第57回東京都職場・一般吹奏楽コンクール

団体番号9番(8/5(土) 16:45~)

東京大学ブラスアカデミー

☆演奏曲

課題曲Ⅱ マーチ・シャイニング・ロード(木内涼)

自由曲  時に道は美し(長生淳)

 

7月に入るころまで、かなり長い時間をかけて音程の擦り合わせ作業が行われてきました。打楽器にとっては暇な時間がやや多い時期でしたが、歪んだレンガで家は建たないわけで、バンドにとっては必要不可欠な作業です。

 

そんなレンガ作りの過程で、管楽器奏者の皆さんが部分的に""お休み""を求められている一方、ぼくを含む打楽器奏者(今年の編成では弦も含まれますが)は1パート1プレイヤーであり、替えが利きません。

打楽器は練習時間がほぼ合奏中に限られている…という事情はあるにせよ、自分で気付ける範囲の違和感、特にぼくが担当するティンパニの音程の問題については、なんとしても取り除かなければならない!そんな責任を改めて感じています。チューニングについては5セント(半音の20分の1)以内の精度を常時目指すようになりました。(それでも甘いと思いますか?ごめんなさい、足で操作してるんで😤💨)

その反面、本来ここがあるべきスタートラインだったのだろう。ここからが勝負どころなんだ…と、新たなモチベーションがふつふつと生まれている昨今です。

 

 

正指揮は合奏を通して、一定の努力で越えられるハードルを、練習方法を示しながら置きつづけてくれています。課題と対策の明確化という点では、毎回非常に意義深い合奏になっていると感じます。

そしてその結果、ハーモニーを落ち着いて聴ける部分がかなり増えてきました。大荒れしてしまう部分も多少はあるけれど、本当にいい感じ。

 

そんな今、ぼくが他パートの皆さんに対してわざわざ口出しする必要なんて全くないんでしょうが、それでもバンド全体に通じる一般論として、まだやれることはたくさんあるだろうと感じています(大いなる自戒も含めて)。

 

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★ひとつめ

指揮をしっかりと見てください。

指揮者は奏者全員に対峙して、曲想を身体運動で表現できる唯一の存在です。他の誰よりも真摯に曲のことを考えていて、時に、言葉では語り尽くせないニュアンスをも壇上から伝えてくれます。しかし逆に、「こうやって吹いてほしい」というメッセージが奏者に届かなかったとき、指揮者は言い知れぬ孤独を感じるでしょう。ひと目でたちどころに理解できるわけではないけれど、彼が提示しているCueを読み取る努力は必要だと思いませんか?

 

 

★ふたつめ

自分のパートに限らず、曲の中で“大好きな場面”をたくさん作ってください。

五月祭演奏会の頃に比べれば、曲について冷静に見つめ直す余裕が生まれていると思います。「頑張って吹く」「抑える」という初歩的な二項対立を越え、周りを見渡して、このバンドの良い部分をたくさん見つけましょう。

「この部分は美しいな…」とか、「この部分だと、このパートが生き生きしてるな」とか、ポジティブな要素を探していくことで、日々の合奏がより楽しくなるはずです。

そして、その大好きな部分をよく聴こえさせるために自分はどうすべきか、スコアとにらめっこしつつ考えることで、曲の見えかたが変わってきます。

 

自由曲でぼくが大好きなのは「時間が止まる場面」です。ゲネラル・パウゼという意味ではなく、みんなが音を伸ばしている部分。各楽器の伸ばしが乱れなく揃ったとき、そのハーモニーは何時間でも何年でも、否、永遠に続くのではないかと感じてしまいます(たとえばDの金管やWの直前など)。

課題曲についてもいろいろあります(割愛)。曲決めは難航したけれど、今となっては本当にこの曲でよかったと感じています。さわやかなハーモニーをお届けしたい。

 

ちなみに「他パートを立てる演奏」の重要性については、過去の記事にも書いた通りです(誰も覚えてないと思うけど)。

dai23nootoko.hateblo.jp

 

★みっつめ

ちょっとした失敗にビビらないこと。

金賞・都大会出場を目指す場合、求められる演奏クオリティは高いと思いますが、あくまで評価はバンド単位。各々の奏者がひとつふたつトチったところで結果が大きく変わるとは思えません。ぼくがブラアカ1年生のときは、自由曲の打楽器Soliみたいな部分でチャイムが三連符1個分思いっきりズレましたが結果は金賞でした。ささいな失敗に気を取られすぎず、普段どおりのパフォーマンスを発揮できれば、失敗したぶんは十二分にリカバーできます。

 

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ひとりの奏者として、あるいはパートを取りまとめる立場として大変な思いをしている人へ。あと1週間ちょっと。あと少しで、ひとまずの成果と結論が出ます。きっと「よかった、よかった」と皆で言い合っている未来が訪れるはずです。

練習に疲れたら周りを見て、仲間の演奏を聴いてください。一旦歩みを止めて振り返ることで、理想へと着実に近づいている自分たちの姿に気付くことができるのではないでしょうか。

 

 

最後にもうひとつだけ。我々が東大生の集まりであることは、他バンドには真似できない、唯一無二の強みであるはず。だからこそ、思慮の足りない音を出すのはもったいない。勝負はたったの12分ですから、放っておいても溢れだすハートと上手にバランスを取りながら、最後まで集中して、頭使って音楽しましょう。

やめるのやめた(近況報告)

ぼくのTwitterアプリには、昨年3月に書いたツイート下書きがずっと眠っています。

まもなくSセメスターが始まり、新2年生は進振りについて検討を始める時期ですが、ぼく自身も身の振りかたについて色々と考えた結果、勝手ながら来年3月をもって東京大学を中退することにしました。

これまで色々な方にお世話になりましたが、中でも東京大学ブラスアカデミーの皆さんに対しては、最も充実するであろう3年目をご一緒できないことをたいへん心苦しく思います。来年2月の定期演奏会まで、来る一つ一つの本番をできるだけ楽しくやりきること、それこそがわたしの悲願です。

「中退」というオプションについて考え始めたのは、ちょうど1年前のこの時期。ざっくりと言えば向学心が湧かなかったため、どこへ進学する気にもなれず、平成29年度進学選択は「不志望」で見送りました(だから降年したけど、未だにものぐさで学生証を交換してない)(中退するつもりだとそうなる)。

そもそもこのブログを作ったのも、中退についてできるだけひっそりとお知らせすることが目的でした。ぼくの身の上(←おもしろくない)についてTwitterで拡散したいとは全く思わなかったので。

 

しかし「なぜ辞めるのか?」という重要な自問に、ぼくはずっと答えを出せずにいました。漫然と「たぶんぼくは学問に向いてないし、就職したほうがお金稼げるし、大学辞めたほうがいいだろうな」というふうに考えるだけで、最後のアクセルを踏めないまま、時間だけが過ぎていきました。

この件について、生半可な気持ちでは話せない(ましてTwitterになんて流せない)!と感じて、これまで進路についての話題では万人に対し黙秘を貫いてきました。まさかそのまま進振りシーズンから半年も経ってしまうとは思いもしませんでしたが…

 

辞めるつもりで過ごしたこの1年間。ほんの少し優(@前期教養)を稼いだことを除けば、学問的な研鑽はほとんど積めていませんが、ぼくの身辺には主に2つの変化がありました。

 

1つ目、初めて「教育関係でないアルバイト」を始めたこと。

「この世の中には本当に色々な仕事があって、色々な人材が求められている」という当然の事実に改めて気づかされました。たとえばコンビニに置かれた商品一つとっても、その中には「生産者」「卸売業者」「販売者」というような、多種多様な仕事が介在します。このことは、「このまま好き勝手に学生を続けていたら、自分のことを必要としてくれる場所がなくなってしまうのではないか?」という不安を抱きながら暮らしていたぼくに、大きな安心感を与えてくれるものでした。

バイト先の人々は必ずしも学歴を積んでいるわけではないけれど、本当に楽しく魅力的です。学歴フィルターなんて何のためにあるんだ?と思ってしまうほど良い職場。仮に就活に(見かけ上)失敗したとしても、自分の資質を活かして楽しく働くことはきっとできるだろう…と、将来に少し希望が見えた気がしました。

 

2つ目、以前にも増してサークルに熱中したこと。

ドラムをはじめとする打楽器の練習量が増え、演奏に対しより深い思い入れを抱くようになったということもありますが、特に駒場祭以降、勉学やバイトを含め、サークルのみんなが多方面に頑張る姿を間近に見たことで得られる刺激は、非常に大きなものでした。

特に現・正指揮と副指揮の努力家ぶりには頭が下がります。もちろんアマチュア指揮者・プレイヤー(ついでに学生)としての彼らの円熟期はこれからでしょうが、できることならこれからも、彼らの活躍をできるだけ近くで眺めていたいという気持ちが強くなりました。

 

「来年度以降も学生を続ける」という、一見すると当たり前な結論へと心変わりしたのは、本当に最近になってからです。来年度の演奏会で扱う曲の練習にも身が入るようになりました。そして、「どこの学部に進学しようか」という、東大生としてありきたりすぎる悩みが、1年の周回遅れでぼくの所にもやってきました。

 

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大学を辞めないのは非常に簡単ですが(退学手続きをしなければいいだけ)、今後もぼくの学生生活は、毎年「辞める」「辞めない」のコイントスを強いられるような、あやういバランスの下に置かれ続けることでしょう。ぼくの実家はまるで太くないため、早稲田時代から学費は全額自己負担。今後万が一家計が立ち行かなくなることがあれば、たのしい学生生活を放棄してすぐ働きに出るつもりです。

また、自分の適性に合った進学ができるかどうかも本当に重要です。ぼくにとってレポート・論文を計画的に作成することは極めてストレスフルな作業であり(普通の文章ならスラスラ書けるのでより一層辛い)、人文系の研究を継続できるか?と考えると、分野によっては非常に怪しいところがあります。真面目なことを考えるのは苦手な性分ですが、楽しく学ぶため、そしてしっかりと卒業するため、最善の選択をする必要があります。

 

――「東大の人って難しいことばっか言うけど、ちゃんと聞いてると面白いから楽しそうだなって。俺は絶対入れないけど」

件のバイトを始めた頃の、先輩(いわゆる""Fラン大学""出身)からの言葉です。必ずしも肯定的な意味ではないかもしれませんが、東大生の個性・魅力を端的に捉えていると思います。「自分が学生(東大生)であるうちにできることは何なのか」と日々真摯に考えることが、残りの時間をかけがえのないものとするために不可欠なのだと実感しています。

あと何年学生を続けられるかは分からないけれど、ぼくに興味を持ってくれるあなたと過ごす時間こそが、ぼくがこの暮らしを続ける最大のモチベーションです。とことん楽しくやりましょう。

#ブラアカ秋合宿2016 総括

9月14日~17日と、北志賀でのブラアカ秋合宿を終えて帰ってきました。

 

これまでぼくは秋合宿2015・春合宿2016と経験してきましたが、合宿は今後扱う新曲の譜読みを立て続けに行う場所…そんな印象がありました。曲数が極めて多いため(10曲を超えているかも)、合奏時間はかなり細切れとなり、終始慌ただしく進みました。新しい曲に触れ続けなければならないので体力的にもハードでした。

 

その反面、今回の秋合宿2016では曲数をぐっと絞って非常に濃密な練習が行われました。特に副指揮(同期のスキンヘッド男)は、11月の駒場祭公演・来年2月の定期演奏会を合わせた彼の担当曲7曲(8曲?)のうち、駒場祭公演で一番の大曲""ミュージカル「レ・ミゼラブル」より""に持ち時間すべてを投入しました。 練習スケジュールから考えるとこれはなかなかスリリングな賭けなのでしょうが、個人的にはとても意義深い合宿となり、好判断であったと思っています。

 

東京大学ブラスアカデミーの駒場祭演奏会には「テーマ制」という特徴があります。

プログラムが1曲ずつ独立している他の演奏会とは異なり、駒場祭演奏会の曲目は、あらかじめ団内公募で定めたテーマに沿って決められます。

 

たとえば2015年の駒場祭公演「吹奏楽が紡ぐ“星の王子さま”」の場合は、

1.夜間飛行;『星の王子さまの』主人公がパイロットであることから

2.テキーラ;主人公が他の小惑星で酒飲みに出会う場面より

5.星の王子さま;物語を締めくくるメイン曲

(3・4曲目は自分が乗ってないので理由を忘れてしまった(._.))

というような感じで、曲順やパンフレット、司会進行などを組み立てています。さながら落語の三題噺のよう。

 

冷静に考えれば「なんでそんな手間のかかることしてるんですか?」という話なのでしょうが、一度経験してしまうとこれがなかなか奏者的にもエモく、お客さまからも例年ご好評を頂いているようです。

そして前述の「レ・ミゼラブル」は演奏会のラストを飾る曲なので、今回の合宿には「駒場祭公演のクライマックス(オチ)を固める」という意義があったと言えます。

 

合宿最後の練習時間、全員で集中を高めてからの初通しは、いささか未熟ながらも熱量を感じる、とても感動的なものでした。わたしはブラアカ入団直後から、本番での演奏が白熱すると鼻水が垂れる体質になってしまったのですが、今回もそうなる兆候をひしひしと感じました(そこは嘘でも「泣けた」とか言うべきでは?でもまぁ正直ちょっとうるっときたけど)。

 

わたしたちはこの感動的なクライマックスに向けて演奏会を組み立てているということ。他の曲に接する際も、必ずこれを意識しながら練習を進めていくことこそが、素晴らしい演奏会を実現するための王道ではないでしょうか。

スター・ウォーズ」、特に管楽器は大変そうだからがんばってね★

 

レ・ミゼラブル」でのわたしは、主に大砲の役割を果たすバスドラムを、「これ以上やったら手首が抜けちゃう><」と思いながら爆音演奏しています。きっと本番ではこれ以上やってしまうのだろうと思います。別の曲では2016年の個人的課題楽器であるドラムも担当します。よろしければ!

 

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東京大学ブラスアカデミー駒場祭演奏会《ブラアカ映画祭!》】

日時:2016年11月26日(土)17時(入場無料)

会場:東京大学駒場キャンパス 900番講堂 

曲目:ミュージカル「レ・ミゼラブル」より

   スター・ウォーズ 他

★最新の練習情報などはTwitterをご覧ください

東京大学ブラスアカデミー (@brassacademy) | Twitter

”超上手な演奏”に触れて考えたこと

きのうはブラアカの臨時練習後、吹奏楽に詳しい後輩についていって、「第56回東京都吹奏楽コンクール@府中の森芸術劇場どりーむホール」高校の部・全12団体の演奏を拝聴しました。いわゆる「都大会」です。もしかしたら高校生の演奏をじっくり聴くのは初めてだったかもしれません。当日の朝になって突然行くことにしたけれど、とても貴重な機会をもらいました。

 

追記:プログラムと賞の一覧(都吹奏楽連盟HP案内より一部抜粋)

前半の部 1 都立豊島高等学校吹奏楽
  2 岩倉高等学校吹奏楽
  3 八王子学園八王子高等学校吹奏楽
  4 駒澤大学高等学校吹奏楽
  5 都立小平高等学校吹奏楽
  6 東海大学付属高輪台高等学校吹奏楽 代表
後半の部 1 豊昭学園吹奏楽
  2 都立小山台高等学校ブラスバンド
  3 都立片倉高等学校吹奏楽 代表
  4 都立杉並高等学校吹奏楽
  5 佼成学園女子中学高等学校吹奏楽
  6 東海大学菅生高等学校吹奏楽 代表

 

高校時代のぼくは都大会の1つ前の「予選」ですら銀賞までしか行けなかったし、ブラアカ団員としても現状、予選でのダメ金までしか経験できていません。したがって単純に比較するならば、きょう聴いた12団体すべてが、自分の吹奏楽経験の中では「格上」であり「上手」だということになります。しかしそんな「上手な演奏」の中にも、「上手」と「超上手」のようなレベル差があるんだ…ということに改めて気付かされました。伝わりにくいかもしれませんが、ことばを尽くして説明してみようと思います(当たり前の事実を遠回しに書いているだけのような気もします、ごめんなさい)。

 

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★「何をやりたいのかわからない」時間が限りなく0に近い

吹奏楽曲に明るくないぼくにとって、一見とらえどころのない難曲を扱う団体もいくつかありました。しかしそんな難曲であっても、一定程度のストーリー性、あるいは「この楽器・メロディラインを聴かせよう」という意志を伝えるように演奏できる団体が、おおむね金賞や全国大会推薦を勝ち取っていたように感じます。そのような演奏を自分たちがやれているかと考えると、大いに疑問が残ります(当然ながら自戒を込めて)。

 

ダイナミクスで空気を支配できる

課題曲Ⅴや課題曲Ⅰ・Ⅳ(マーチ)における弱奏部など、一定の緊張を要する場面において、特に銅賞の団体では、常に蛇口から細く水が漏れているような、どこか空気に締りのないまま進んでしまう演奏が目立ちました。

その反面、上位団体は(ほぼ)無音と強奏の間を自由自在に行ったり来たりしていました。強弱が変わっても音質が荒れない技術を持っている上、強弱変化について指揮者とバンドの信頼関係がきちんと構築され、つうかあの仲になっているということなのでしょう。

 

★さながら”筒抜けの伝言ゲーム”のようである

上位団体の演奏において、異なる楽器の音が無駄に干渉しあい潰しあうことはほとんどなく、弱奏であっても各楽器がくっきりと独立して聴こえました。音楽の比喩としては無粋かもしれませんが、「伝言ゲーム」に喩えます。

ある楽器が「たまご」と言い、続けて別の楽器が「サラダ」と言うことで「たまごサラダ」というメッセージを伝えたいとします。このとき、同じ楽器でも奏者間で音の統一がなされていなければ、「たらこ」「たばこ」など別のことばが混じり、「たまご」というメッセージはぼやけます。「サラダ」も同様です。また、「たまご」の声がうるさすぎて「サラダ」が聞き取れない…というタイプの失敗もありうるでしょう。

それぞれの楽器・セクションが発する「たまごサラダ」が客席後方でもクリアに聞き取れた…という事実はなかなかに衝撃的でした。これまでぼくは自分の演奏が「聴こえない」と指摘されたとき、当該部分の音量を上げることばかり考えていたからです。しかし、やりかたはそれ一つだけではない。同じパートや同じ音形を持つ楽器と音を統一すること、そして他の楽器を立てるべき場面ではしっかりと身を引くこと(そうすれば逆に自分も立ててもらえる場面がやってくる)。バンド全員がそのような視座に立って練習を積んだ結果があの境地なのだということでしょう。

わがブラアカの副指揮(同期)は「縦と音程」について毎度厳しく指摘していますが、この部分を厳しく律することが、この「伝言ゲーム」の精度を上げるための最重要ポイントなのだということも改めて実感しました。

 

あ、そういえば、わたしみたいに緊張でテンパッて「からあげたべたい」とか全然関係ないメッセージを叫んでしまうような奏者もいませんでしたね。それは当たり前か(._.)

 

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ほかにも考えたことをちらほらと。

 

☆当然ながら、下位団体にも心を奪う演奏はある

評価には差があるものの、どのバンドもそれぞれに異なった魅力がありました。

銅賞団体の中では豊昭学園がわたしの好みでした。打楽器が最も効果的に使われている印象を受け(12団体中でも3本の指には入る)、特にティンパニの音質(中でもロール)がわたしの理想に最も近かった。

もちろんブラアカも同じですが、どのバンドにも絶対にファンはいるわけで、バンド特有の個性を失わないようにしたいと改めて感じました。

 

☆あいつら、98%くらい吹奏楽のこと考えてやがる

高校生の熱量はすごい。いま思い返せば、高校というのは吹奏楽のことだけ考えて生きていられる最後の時代なんですね。学問もバイトもやりたくなければやらなくていい。嫌でも吹奏楽以外のことをやらなければならない立場にあるぼくからすれば、あいつら、98%くらい吹奏楽のこと考えてるんじゃないか?とさえ思ってしまいそうな感じでした。逆に残りの2%が気になるね。

大学の部や一般の部のほうが技量的には上かもしれないけれど、高校の部に人気が集まるのは、きっとそのような「吹奏楽に懸ける青春」みたいな輝きを演奏の中に見て取れるからなんだと気付きました。

 

ブラアカの臨時練習では某曲の初回合奏でドラムをやりました(曲は諸般の事情により内緒です)。ぜんぜんソロパート・フィルイン等が固まらないまま適当に叩いてしまったのですが、合奏の録音を聴いてみたら、ぐっちゃぐちゃながらもとても楽しくて。後輩からも「すごく楽しそうでしたね(^o^)」と言われて。

月並みだけど、そのような楽しさこそ、大学生である自分が「98%」に近付くためになくしてはいけない感覚だと思いました。

 

そりでわ、無限にドラム譜練りをしまつ ぽやしみ~

4人のみなさん、はじめまして/嫌いなものこそ個性じゃないか

動機がいまいち自分でも分からないのですが、なんとなくブログを始めることにしました。

(ブログ全盛期=00年代前半と思春期が重なるわたし、実は6回目のブログ新設です。)

 

お知らせのツイートからわざわざ興味を持ってくれた方、ありがとうございます。リンクを踏んでもらうっていうのはなかなか難しいことだし、しばらくは「誰も読んでないだろうな…」と思いながら書くことになりそうです。

基本的には更新があり次第お知らせのツイートをしますので、Twitter(非りあるる (@dai23nootoko) | Twitter)をチェックしてくだされば十分です。

 

Twitterのほうではネタを愚直に投げ続けるスタンスを貫いているので、このブログでは、おそらく普段のTwitterでは見えづらい「ひととなり」「思想・思考」の見える文章を書いていきます。

気が向いたらTwitterに収まらないサイズの長文ネタを書くこともあるかもしれません。(高校のころは量産してました。しかしどうも最近Twitterに毒されたようで1000字超えるくらいのネタが書けなくなってる…)

 

東大に再入学し、ある意味でまっとうな社会生活を初めて(!)営むようになってから、自分のことをそれなりに好いてくれる人が4人くらいいるような実感を得るようになりました。実際それは見間違いで3人しかおらず、いや、ほんとのところはそれも勘違いで、現実は0人なのかもしれないけれど、でもその4人くらいのみなさんに向けてことばを投げてみたいような、そんな欲求に駆られています。進学選択とかあるしナーバスになってるのかな。

 

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個人的には文量が物足りない(1000字くらいは欲しい)ので、少し違う話。

自分が好きなライターさんのことば。

「文体は『使うことば』ではなく『使わないことば』に表れる」

自分が書く文章や話すことばについて考えてみると、この表現は避けているな…というタイプの偏りが確かにみられるような気がします。

 

ぼくの場合、たとえば「""匂い""に依拠する表現」はわりと避けています。人間の嗅覚なんてたかが知れているし、何がよい香りで何が悪臭かなんて人によって違うのに、なんだか主観に偏りすぎていて傲慢な感じがしませんか。

特に「めんどくさい」なんてめったに使わないですね。これまでの人生で5回言ったかどうかという感じ。物事をやるか・やらないかという重要な決断を、よく考えもせず匂いで決めてしまうようなことばの印象に抵抗があるんだろうと思います。

 

そしてこのお話を一歩進めて、ぼくには

「個性は『好きなもの』ではなく『嫌いなもの』に表れる」

という持論があります。

 

好きなものが周囲の人(家族や友人、そして恋人や恋人、あるいは恋人など)の影響で決定されやすく、その根拠も薄弱である一方、嫌いなものは自分の心の中でふつふつと醸成されることで生まれており、より忠実にその人の個性を反映しているのではないかと思うわけです。

 

ぼくが好きな都道府県の第1位は兵庫県です。神戸の街の印象が自分の好みに合うことと、自分が愛する阪神タイガースの本拠地であることが主な理由です。別に「へー、そうなんだ」って感じしかしないですよね。

 

ぼくが嫌いな都道府県の第1位は北海道です。地図見てるとすげー北の方にあるし、すぐそこにロシアがあることが無性にこわい。無駄にデカいから広大な原野でひとりぼっち(._.)みたいな風景を勝手に想像してさみしくなってしまう。あとみんながみんな好きだって言うから、自分はそれに乗っからないぞ!という気持ちになる。

 

…このように、「北海道が嫌い」という情報ひとつ取っても、「未経験のもの(海外とか)に対して心を閉ざしがち」「比較的さみしがり屋」「人の裏をかきたがる」などなど、様々な個性が見えてくるわけです。

 

そんなわけで、初対面のひととしゃべるときは、ひととおりの話題が済んだ後、嫌いなものについて話を振ることにしています。聞かれた側も結構べらべらしゃべってくれるし、こちらもなかなかユニークなおはなしが聞けて楽しいものです。

また、嫌いなものが一致するひとに対しては「波長が合うな…」というある種の好印象を抱きます。あっ…でもこれまでぼくが付き合ったひとってみんな納豆だいすきだったような気がする。この理屈も万能ではないようです。

 

最後にコメントについて。

コメントは誰でも書き込めるようになっています(承認制なので、まずはぼくだけが見ます。突然さらされることはありません)。Twitterで反応してくれてもいいです。また、書いてほしいネタや質問/お悩み相談など随時歓迎します。でも受験勉強の相談なんかは他の東大生にしてくださいね(よっぽど有能な人がわんさかいるし)。

 

だいたいこれくらいで2000字…と。書きたい文章ならば1時間弱でこれくらい書けるんですね(._.)(._.)(._.)